幼少期を過ごした故郷、久方ぶりに帰って辺りを見回してみるが、何となく覚える違和感。
この川ってこんなに細かったっけ?
小学校までの道程、こんなに近かったっけ?
この体育館、こんなに小さかったっけ?
いやいや、私は機械工学のエンジニアの端くれだ、体育館が時間を経て縮んだりする訳がない。
しばらく考えても答えはでなかったが、最近こういう仮説を立ててみた。
これらの違和感の正体は、大人と子供の視線の高さの差ではないか?
例えば今の視線の高さで見た公園。

同じ場所から、幼少期の視線の高さ、つまり寝っ転がって見上げてみる。
すると遠くにある物はより大きく、近くにある物は更に大きく見える。
遠くにある小さいブランコは、もっと遠くに見える。
そして自分自身は小さく感じる。

草っ原に寝転んで遊んだ自分、小さな雛菊もこう見えてたんじゃないかな。
自分を含めた大人が、花の写真を目一杯大きく撮影したがるのは、記憶への憧憬に違いない。
あぁ、図体ばかり大きくなってもダメだね。ねぇ自分君。



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